“暑中お見舞い申し上げます” セレモニースタッフの市野です。
大暑となり、葬儀をされるご遺族様もお手伝いをするスタッフも汗だくの季節となりました。
私事で恐縮ですが、7月は亡き姑の祥月【しょうつき(年に1度巡ってくる死亡月)】です。
そこで少し姑の話をさせていただきます。
昭和初期、御大家のお嬢様が嫁ぐことになり沢山の嫁入り道具と共に数人の女中【じょちゅう(住込みのお手伝い)】も伴って行かれたそうです。
姑は、その何人目かの入れ替わりの女中の1人として奉公に出ました16歳で昭和9年頃だったと記憶しています。
奉公先は東京・・・警察病院の院長の邸宅です。
姑はその頃の苦労話を私によく聞かせてくれて、興味深い話もいくつかありました。
その中の1つ、昭和11年2月26日明け方に起こった二、二六事件の話【(に、にろくじけん)一部の陸軍青年将校たちが政治改革と称し兵を率い、首相官邸や大臣宅などを襲撃し政府要人を暗殺したクーデター未遂事件。戒厳令が宣告された】
事件直後旦那様は、警察病院の院長として要人の方々の救護活動に尽力されたそうです。
何が起こったかわからない姑達は、ただただ恐ろしさと寒さで震えていたそうです。
旦那様の留守を預かる奥さまは気丈に「家から一歩も出るな!ここは安全なのだから」とおっしゃったそうです。
長い一日が終わり一夜明けた朝、庭に降り積もった真っ白な雪と、物音ひとつ聞こえない街なかが忘れられないと言っていました。
若い人にはピンと来ない話でしょうね・・・私も初めて聞いた時は若かったですけどね。
どこの家にもある大小の歴史は、姑から嫁へと受け継がれていくのかもしれません。
今の時代には合いませんね・・・。
厳しくそして無邪気な人でした。
19回目の祥月に改めて故人と交わした会話を想い出しました。