こんにちは、営業部の丸山です。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
最近は朝晩が少し冷え込みますので体調と相談しながら日々を平和に暮らせればよいなあと思います。
さて、たまにはこんな話を。
(この先は主観、私的見解も含まれてきます)
人というのは1人では生きていけないものでこの世に生まれ落ちた時から「家族」という集団に、やがて「保育園」「小・中学校」といった集団に、いずれは会社やそれ以外に。
いずれにしろ集団組織に属して、また、何らかの力を借りて生きていくことになります。
どのような集団組織においても、時期によらず「新入社員(パート・アルバイト)・新しい仲間」という立場になる方が来られるということはあることです。
新たな仲間を招くことができるというのはありがたいことなのだと感じるべきところでしょう。
ただ気を付けなければならないのは、悲しいかな人というのは融通が利くようで利かない生き物であり、ある程度の期間その集団に身を置くと、どうしても己や所属組織を俯瞰(ふかん)できなくなる(人が多い)のだということ。
これは非常に危険な事です。
下手をすれば排他的な感情に支配される事があったり、もっと踏み込んだ事をいえば「正しい・概ね間違いないであろう」というその考えや思考自体が誤りである事に気が付かなかったり、そういった新しい風が吹き込むことにより是正されるべき事が、ないがしろにされてしまいかねないのです。
是正の有無がその集団組織の美的感覚にも似た価値観によるところになってしまうのはいささか悲しいことではないでしょうか。
「これが○○流。そこに浸かれない(染まれない)ものは悪」のような発想は、どの集団組織でも陥りがちなミステイクです。
…いや、もうミステイクどころではないですね。
あってはならんことです、もうこれは贖罪レベルですな。
これは問題提起でもあります。
こと、冠婚葬祭など儀式めいた事になると、なんとなくそういった空気感に違和感を覚える方もいるかもしれませんね。
風土、因習で片づけてしまうのは乱暴な気がします。
人は変化や(その集団における)マイノリティを嫌う傾向にあるのではと私は思っています。
集団組織にどっぷりと浸かれば浸かっているほど、その傾向が顕著ではないかと。
人は論理的思考ができる生き物です。
つとめて冷静に、客観的に立ち振る舞う事が本来できるはずなのです。
偏狭なイデオロギーに凝り固まることなく、温和に柔軟でいきたいものです。